シュテムターン不要論はご存じでしょうか。
スキーの上達(特にプルークからパラレルターンにレベルアップにする段階)においては、シュテムターンはデメリットが大きいので使用すべきでない、という意見・主張です。
今回の記事では、これについて考えていきたいと思います。
シュテムターン不要論はどこから来たか?
この論調・意見は実はかなり昔からあり、古くは、1938年、エミールアレというフランスのスキー選手が発刊した、スキーフランセという本にまで遡ります。
それまでの世界のスキーレースでは、シュテムターンの発展系である”外向外傾”スタイルのスキーがランキングの上位を占めている状態でした。そこに、エミールアレは、そのような既存のスタイルとは全く違う”内向内傾”を駆使したスキーのスタイルでトップに立ち、世界に衝撃を与えました。
そして、自身の世界大会での成績を根拠に、シュテムを使わない新しい自国のスキー技術の優位性、そしてシュテムターンを使った指導の欠点を指摘したのでした。
内向内傾を使ったターン
引用・出典:エミール・アレのフランス・スキー術(1955年 新潮社)
オーストリアのスタイルかフランスのスタイルか、どちらがより優れた技術体系・指導法なのか。この議論は1970年ごろまで続き、長い年月をかけながら、”両者の技術は道筋は違えど、究極的に目指すところは同じである(どちらの国の選手も、高いレベルの滑りになればなるほど滑りが似てくる、という事は昔から周知の事でしたが、技術理論としても対立ではなく両国の良いところを取り入れていこう)という意見・考えが主流となる事で、やっと終息する事となりました。
そして、今回の話題のシュテムターン不要論も、話の経緯としては、その様な世界的な”より良いスキー技術・指導の探求”の長い道筋の中で発生した、意見・問題提起なのです。
イエスかノーか?
細かい話は全て置いておいて、ざっくりとした事を言えば、私はシュテムターンは必要な技術だと考えています。
これは、斜面を攻略する技術としてではなく、指導の流れ技術の組み立てに使用する練習メニューとして、という意味です。
(もともとシュテムターン不要論は、指導体系の中で、という文脈での主張ですので、バックカントリーや難しい状況・環境での技術的な優位性については、今回は言及しません。)
シュテムターンは
- 初心者のプルークからパラレルスタンスへの上達に役立つ
- 中級以上のバランス能力の獲得、舵取りの上達にも役立つ
技術だからです。
”なぜ必要と言えるか?”と言いますのは、これはすごく乱暴な言い方に聞こえてしまうかも知れませんが、一旦ここでは、スキーの強豪国である欧米の各国ではいまだにシュテムターンが指導の中で活用されているから、というのが一番シンプルな説明となります。
確かに実際には、欧米各国の教程を見ると特にプルーク⇒パラレルの習得段階で使う基礎レベルのターンには、”シュテム”という単語は使われなくなっている傾向があります。確かに、動作としてはシュテム的な動作をつかってターンをしているのですが、その動作の内容は長い歴史の中で研究・洗練されて来た新しいタイプの操作に変化しているため、昔ながらの”シュテム”と区別する為に各国ともに別の呼び名が使われています。
そして、中級以上向けの「パラレルターンの質をより高めるための練習メニュー」としては、”シュテム”、”シュテムターン”という呼び名をそのまま使うのが、欧米各国の教程に割と共通してみられる傾向でした。
つまり、もう随分昔に“シュテムターンは不要なのか必要なのか?”という問いに対しては、世界的には”必要である”として一応の決着がついているのです。
ネット上で、「シュテムターンが日本の教程にある事は、日本のスキーの後進性の象徴だ。シュテムターンを教程から無くすべき。」といった主旨の意見を見かける事があります。
しかし今までの話を踏まえて、この主張について考えると、少し極端な意見だという事が分かるでしょう。
実際には、シュテムターンがある事自体が日本のスキーの後進性を象徴するものではなく、むしろ、その様な”要・不要”の議論に、決着がつけられていない事の方に、日本のスキーの技術の分析・理解がスキーの強豪・先進国たる欧米各国よりも遅れてしまっている現状が表れている様に思われます。
ですので、先ほどは”シュテムターンが必要だ”と述べましたが、同時に”どのようなシュテムターンが必要なのか?”という事も頭に置いておく必要がある訳です。
つまり、今、実際に我々日本人が考えるべきことは、「シュテムターンが必要か不要か?」ではなく、
- シュテムターンにおいて、海外の滑りと我々の滑りの何が違うか?
- シュテムターンに対する、海外の理解と我々の理解がどう違うか?
- それらの違いは、どういう経緯で、どういう意図で生まれたものか?
これらの事について、海外の動向を検証・分析・吸収し、より良い指導方法、より優れた滑走方法を追求していくことではないかと思います。
今回の雪の軌跡の記事では、上記の疑問について、過去の経緯や現在の海外の教程での解説などの情報から、現状、私がお伝えできる限りの”答え”を探り、お届けしていきたいと思います。
違いはどこに?
まずは動画を見てみましょう。
オーストリアの基礎シュテムターン(プルークシュトイアン)と、日本の基礎シュテムターンの動画を紹介します。
どんなところに違いがあるでしょう?まずはノーヒントで。
プルークシュトイアン
日本の基礎シュテムターン
引用・出典:資格検定 受検者のために 2022(SAJ / 山と渓谷社 DVDより抜粋)
※本動画は、上記著作物の抜粋情報を引用の公正な慣行に基づいて批評・研究の用途で利用するものであり、本アップロードには、いかなる団体や企業の著作権についても侵害する意図は一切ありません。
いかがでしょうか?
いずれも、初心者が、プルークからパラレルへと滑りを上達させていく過程、または練習方法としての滑りを想定した、インストラクターのお手本の滑りです。
一見するだけでは、そこまでの大きな違いは無いように見えるのではないでしょうか?(何を隠そう、私がそうでした。)
でも確かに、オーストリアではこの滑りをシュテムターンとは呼ばなくなっているのです(また、欧米各国もプルーク⇒パラレルへの上達過程で使うこのようなシュテムターンに対しては、おおむね同じ様な立場をとっており、"シュテム"という言葉は避ける傾向があります。)。
しかし、その”言葉がなくなった”という一部分だけを捉えて、”海外ではシュテムターンは無くなった!”と単純に判断するのは、やはり早計だと思います。
なぜかと言えば、欧米のこのようなターンも、実態として見れば滑りの構成自体は「ハの字⇒パラレル⇒ハの字」というシュテムターン的な操作で構成されているから、というのが一つあります。
そしてもう一つは、このような滑りの具体的な違い(なぜその違いが生まれ、わざわざ名前を変えてまで区別しているのか)について、目的・意図・効能がきちんと説明できないのであれば、「シュテムターン不要論」について、具体的な議論はできず、当然、きちんとした結論も出すことができないからです。
意図を理解せずに言葉だけを無くす、意図を理解せずに滑りの見た目だけをなんとなく真似る、では、仮に”シュテムターン”という言葉、滑りを教程から無くしたとしても何も解決はしないでしょう。
なお、この記事ではこのようなプルークシュトイアンに代表される海外の新しいタイプの滑りについても、一旦は”基礎のシュテムターン”と分類して解説をしていきます。
と言いますのは、いま説明した通り滑りの構成自体は「ハの字⇒パラレル⇒ハの字」というシュテムターン的な運動ですし、また、この新しいシュテムターンは各国でそれぞれ呼び名が異なりますので、”基礎のシュテムターン”で統一してしまった方が、文章がシンプルになるというメリットもあるからです。
今日はいったんここまでにします。
続きの記事から、より具体的な内容に迫っていきたいと思います。
(ちなみに、「オーストリア教程ではシュテムターンが無くなっており、代わりにグルントシュブンクになった」という話もありますが、それもすでに昔の話となっています。現在では、そのグルントシュブンクという言葉もオーストリアの教程からは無くなりました。グルントシュブンク(基礎スウィング)は、まずグルントシュトゥーフェ(基礎段階)という呼び名になった後、今はプルークシュトイアン(ハンドルの切られたプルーク)という呼び名になっています。)